「本当に幸せなのは俺のほう」大戦
みんな、自分の幸せをアピールしないとやってられないみたいです。
そして、他人の幸せを許してしまったら自分が幸せじゃないみたいになるので、他人の幸せは否定しないといけないみたいです。
そんな感じのことを書きます。
実は、このブログの一番最初の記事がアナウンサーさんの目にとまって、番組企画のためのリサーチとして取材を受けました。
そのアナウンサーさんと電話で、また対面で議論を重ねていくうちに、色々と面白いことに気づいたのでまとめようと思います。
先日も書いたんですけど、若者が意識高い系を否定する風潮あるじゃないですか。
アレ、なんで起こるのかな〜とかいう話になりまして、ひとつの結論が出ました。
みんな、「本当の意味で幸せなのはオレのほう」って思ってるんですよ。
心の深いところで。
これがどういうことか説明するために、
この意識高い系を否定する人たちの頭の中に若者の階層があるということからお話します。
これが否定系若者の脳内ヒエラルキーだ!
ちょっと頑張って図にしてみました。
以下は、この図の最上位にいる人が思っていることです。
- まず最下層に、何もできない人たちがいます。ここの人たちは基本的にアウトオブ眼中です。
- そしてその上に、普通に就職する人たちがいます。普通に就職するというのは、言い換えると「個性がない」だったり「社会に流されている」だったり「何も考えていない」だったりします。
- そして、意識高い系が登場します。彼らは社会貢献的な活動や読書についてツイートします。意識高い系は普通に就職する人たちを否定し、自分たちが最上位だと思い込んでいます。がんばっちゃうのはダセェことに気づいていないので、バカです。不幸せです。
- 頂点は、我らが「がんばるのダセェ」群です。がんばっちゃうことをダセェことだと気づいているので、一番賢くて幸せです。
ポイントとしては、自分たちは「何もできない人たち」とは違い、「やらないだけで本当はできる人間」だと思っているところです。
しかもこれは、就活だけでなく恋愛というフィールドにも応用することができます。
これは、恋愛を否定するタイプの人の頭の中の階層です。
基本的には先ほどと同じです。
頂点にいる私は、決してモテないわけではない。
恋愛をがんばっちゃうのはダサいだけ。私は恋愛なんかに振り回されない、自分を持ってる人間なんだ。
そう思っています。
なぜがんばらないのか
以上の図の頂点にいる「他人を否定するタイプの若者」は、いずれも
「頑張ればオレはなんでもできる、やらないだけ」
「頑張れば私はモテる、モテようとしてないだけ」
と思っています。
え、じゃあ頑張ればいいじゃん、と思うのですが、彼らは絶対にそうしません。
なぜか。
答えは簡単です。
頑張ってできなかったら or 頑張ってモテなかったら 、恥ずかしいからです。
彼らは、頑張る、すなわち全力を尽くした結果が芳しくなかった場合、自分の能力の限界を知ることになってしまいます。
本気を出したのにダメだった、というのが怖いのです。
個人的には、こうなってしまう原因は教育にあると思っていて、
小さい頃から個性だの特別だの言われながら育った結果、自分が特別で賢くて一番になりうる人間だと信じこんでしまうんです。
だから、自分が一番幸せじゃないとおかしいんです。
他人が幸せっぽくしてると、自分が一番幸せじゃなくなってしまうんです。
だから、若者同士で他人の幸せを否定しあい、自分が最も幸せだと言い続けるしかないんです。
これはもう、しょうがない。
そういうシステムが出来上がっています。
その上で、自分がそういう傾向にあることを知って、少しずつ少しずつ他人を許す訓練をしていく他にない。
まあ、改善する意味があるのか分かんないですけど。
おわり。
あ、最後に載せ忘れていた図を載せます。
全ては、こういうことです。