好きでありたい
あのねえ、僕思うんですけど、
みんな「自分が本当に好きなもの」と「好きでありたいもの」の区別ができてないと思うんですよ。
っていうか、自分の中に「好きでありたい」っていうカテゴリーがあることに気づいてない。
これは完全に偏見なんですけど、本当に好きなら、それなりの行動が伴うと思うんですよ。
たとえば本当にコーヒーが好きなやつなら意識せずに毎日のようにコーヒーを飲んでしまうだろうし、ゲームが好きなやつならぶっ続けで何時間もゲームするでしょう。
それに対して、「好きでありたいもの」っていうものも存在する。
読書とか勉強とかオーガニックな料理とか。
毎日読んでないならそんなに読書は好きじゃないだろうし、化学調味料たっぷりのメシを喜んで食うなら、生野菜のビュッフェとか別にそこまで嬉しくないでしょ。
ただ、そういうのが好きな自分でありたいのであって、本当に好きではないと思うんですよ。
好きでありたいっていう気持ちがあるのは悪い事じゃないけど、それをさも本当に好きなように振る舞うと「意識高い系」って揶揄されるんですよね。
それで、いざ揶揄されると「いや、そんなことねえし、本当に好きだし」って言うしかない。「毎日3時間は本読んでるから読書好きやし」みたいな具体的な行動を言っちゃうと嘘になりますからね。
本当に好きなものがゲームだろうがニンニクだろうがセックスだろうが、いいじゃないですか。それを正直に表現したらいいじゃないですか。
それが自分なんだから。
で、好きでありたいものに関しては好きでありたいって言えばいいんですよ。
先日書いたように、僕は意識高い系を批判するつもりはありませんけど、そこはハッキリ自覚しといたほうが正直に生きられると思うんですよね。