弟子になるのはまだ早い。
市根井です。
弟子をシェアして育て合う、「パラレル親方」というイベントに参加してきました。
このイベントに関する記事はイベントレポートとしてポートフォリオに書こうと思っていたのですが、今回は感想としてここに書くことにしました。
イベントの概要は主催者の大親方、徳谷柿次郎さんのブログに掲載されています。
自分のダメな人生を救って欲しかった
まずは、僕がなぜ「パラレル親方」に応募したのかを書いてみます。
僕は大学を卒業してから社会経験が全くなく、完全に軽いノリでライター活動を始めました。
今となっては複数の企業からそこそこの価格でお仕事をいただけるようになりましたが、誰にも指導されることなく続けているので「自分の活動の方向が合っているのか間違っているのか」が分からなくなっていました。
だから、とにかく誰かに指導してほしかったんです。
もっと言えば、救って欲しかったのかもしれない。
僕はこの記事にも書いているように、本当に仕事ができなくて、面倒臭がりで、協調性がない。
と書くとお分かりいただけると思うのですが要するにクソネガティブで、基本的に自分のことを不幸だと思っています。
そんな自分が、表舞台で活躍しているライター達のように、ポジティブに輝きながら楽しく仕事ができるようになるかもしれない。自分を変えてくれる人と出会えるかもしれない。
今思えば、そう考えて応募したのかもしれません。
この人たちと仕事するのは、まだ早い
結局、僕がイベントに参加して思ったのはこれでした。
自分には能力が足りないとか、やりたい分野が違うとかでありません。今回登壇していた親方達はきっと、能力が無くても分野が異なっても教育してくれる。その心配は無用。
ではなぜか。理由は2つあります。
①生活のどこに余裕があるか判明していないから
1つ目は、現在の生活がルーティン化できていないからです。
というのも僕は今、まともな生活ができていません。
フリーランスとか名乗ってるけど実際のところちょっとネットで書いてる無職で、今までの最高月収は5万円とか。
来年1月はもう少し稼げそうですが、とにかくフリーランスとしての生活が安定しておらず、新しい世界に飛び込む余裕がどこにあるのかが明確じゃないんです。
例えば15万円くらい稼げる月が3ヶ月くらい続いたら、そこで初めて「とりあえず月に何日くらいは新しいことに挑戦できるな」みたいなことが分かってくると思うんです。
僕はまだその判断ができる段階にいなくて、きっと親方達から仕事を貰っても頭が回らなくなって死ぬだけだと思ったんです。
②弟子入りの目的が曖昧だから
2つ目の理由は、フワっとした目的で弟子入りしてしまうと、辛くなったときに逃げ出す恐れがあるからです。
イベントに参加するまで、「弟子入りして、自分はどうなりたいか」「弟子として何ができるか」「親方に与えられるメリットは何か」などの「弟子入りする目的」が全て曖昧でした。
明確な目的があれば「◯◯を達成するために弟子入りしたんだから辛くても頑張るぞい」ってなると思うんですが、それがないと「弟子入りした意味あるのか…?辛いだけじゃねぇのか…?」となって逃げ出します。僕の場合、絶対にそうなります。
そんなこんなで、親方のみなさんと仕事をするのはまだ早いと思いました。
「自分は今、何をすればいいか」が分かった
かといって今回も腐ってしまったわけではなくて、むしろ「俺の人生、よくわかんないけど不幸な気がするから救ってくれよ親方〜〜〜」という考えを捨てることができたので良かったと思っています。いい意味で選択肢が減りました。
じゃあ、何をすればいいのか。
親方の一人である長谷川リョーさんのフルコミット弟子、小原さんのツイート(そしてイベント当日の発言)が全てを語っています。
書きたいテーマが…とか、専門領域が…とかも大切だと思うが、まずは書くしかないと思うんだ。書きながら、書きたいテーマを探す。読みながら、知識を深める。それしかない。持ってる知語彙以上のことは語れないし、持っている知識の外に手は届かない。言葉を手にしていけば、自ずと理想像に辿り着く。
— 小原 光史|オバラ ミツフミ (@ObaraMitsufumi) 2017年12月20日
まさにこれ。
書くしかないんです。
今の僕には、ありがたいことにライティングの仕事がいくつかある。その仕事を続けてみて、「やっぱり1人だと◯◯が出来なくてキツいな」といった具体的な不足感を覚えてきたら、そのときに弟子入りやチームでの活動を検討すれば良いのですよ。きっと。
最近読んだ本、内田樹『困難な成熟』にもこんな一節がありました。
「大人」というのは、自分が何ものであるか、自分がこれからどこに向かって進んでゆくのか、何を果たすことになるのか、ということを「自分の発意」や「独語」のかたちではなく、「他人からの要請」に基づいて「応答」というかたちで言葉にする人のことです。
これはつまり、「何がしたいか」「何をやらねばならないか」ではなく、「何ができるか」が考えられないうちはヒヨっ子だということです。
僕が今できるのは、今受けている仕事。
とりあえずしばらくは、それを続ければ良い。
できることをしていれば、自分の向かっている方角が合っているのかどうかは、そのうち分かる。
「パラレル親方」に参加して、僕はそう思うことができました。
親方のみなさまへ
イベント、楽しかったです。本当にありがとうございました。
これから僕はガンガン仕事をして、具体的な「不足感」を発見して、弟子入りの目的を明確にします。その時の僕はきっと、弟子にふさわしい。
時間はかかりますが、待っていてほしいです。